職場にいませんか?会話でまず否定から入る人。結局価値観が違いすぎるせい?

業務上の話をしていて感じることがあります。

これは人によりますが、特定の人でこういう人がいます。

ある議案について話を始めるとこちらが何を言ってもまずその否定から入る人。

何を言っても肯定されたことがありません。すべて否定からスタートします。こういう人と会話をしていると素直な人間なら

「自分はダメだなあ。まだまだ勉強が足りないか・・・」と受け止めるかもしれません。

しかしこちらもいい年になってくるとそうも素直に受け取れなくなってきます。

「何を言っても否定される。こんな人間とは話をしたくない。自分はこういう会話で人を不快にさせないよう気をつけよう」

こういうふうに考えるのはひねくれているでしょうか?それとも正常な反応と考えて良いものでしょうか。

例えば以下のようなエピソードがあります。っていうか会話がすべて否定ですからエピソードもくそもないんですけど。

「この工具はここに置いていて構いませんでしょうか?」
「いや、そこだと取りにくいなあ」
「では取りやすいここではどうでしょうか」
「置き方があまり美しくないねえ」
「ではどうすれば良いでしょうか?」
「あーやってこーやってあーやってこーやって・・・」(かなり無駄と思われる装飾的な配置をくどくど)

そんな装飾的な非合理的なことをやっても使うときに使えるように置いてあれば問題ないのではないかと思いますがいちいち想像と違うことを言われるので自分があまりにも非常識な人間なのかと思ったりもします。

がしかしネットでのいろいろな論壇を読む限り必ずしも自分の価値観は世の中の価値観の流れと大きく食い違ってはいない、むしろ世の価値観の変化に合わせて常にキャリブレーションしていると多少の自負はあります。

しかしながらこのような人は世の価値観が変わろうとワーカホリックな精神を昭和の時代からずっと引きずっていてまず目下の者には甘い顔を見せるなという精神が骨の髄まで染み込んでいるのではないでしょうか。

それより一旦受け止めてみては

ぼくは若いうちに学校以外でいろいろな学びの機会に飛び込んだ経験があります。

そのときに感銘を受けたことの一つに会話はまず相手の話を受け止めてからだ。たとえ相手の言うことを否定することがあってもそれでも一度は受け止めて相槌を打ち、改めてこういう考えもあると思うがどうだと言ってみるとお互い角が立ちにくく会話がスムーズに運ぶと。

学びの機会というより今思い出してみるとD.カーネギーの「人を動かす」にそんなことが書いてあったかもしれません。

もっともカーネギーの人を動かすを読まずとも少しでも「営業」と名のつく業務に就いたことのある人なら常識中の常識、イロハのイですね。

それをしないということは営業経験がないのか、そういう対応を必要としないままこの歳に至ってしまったか、あるいはまた違う事情かもしれません。

いずれにしても人からの印象は良くはないものです。

会話のときに相手の言うことを一度受け止めてから自分の意見としてこう思うというやり方をしてみてはいかがかなと伝えたいけど否定されるだろうなあ。

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